A子の森 Eiko's Forest

英語の森の旅の途中。平凡な唯一無二の冒険。 In the middle of my journey in the forest of English. An ordinary but one and only adventure.

天啓の特効薬

先日、ずっと悩んでいた問題の解が見つかった(と思っている)。ずっとというのは学生時代より前から、ぐらい、いにしえの昔からの「ずっと」である。

何気なく読んでいた、Japan Timesのある記事の中で気になった言葉をネットで調べ、それからふと、関連して思い出したキーワードに別の言葉を組み合わせてまた検索してみたところ、自分の中で(あった。これだ。これが探していた答えだ)となった。

もともと興味のある分野とはいえ、その記事を偶然読むに至ったこと、さらにはそこから記事とは直接関係のない言葉を加えてネット検索をしてみようと思いついたこと、それらの流れが自分にとってはとても不思議な道筋に思える。
記事を読んでいるときは、長年悩んでいた問題の答えを探そうなどとは考えていなかったはずだ。それなのに、なぜかするすると記事からある言葉を連想して別の検索行動に移った自分の脳の働きは何だったのだろう。

自分としては、大げさではあるが、ある意味epiphanyというか、天のお告げのようなものに感じられた。それとも、偶然出合ったセレンディピティだろうか。

人生どこでブレークスルーがあるかわからないものだ。

こういうひらめきみたいなものを意図的に増やす方法に関する研究がないだろうかと脳科学などの分野を少し調べてみたが、いまひとつ良いものが見つからなかった。
だが、その過程でTED TalentSearchというYouTubeのチャンネルにJohn KouniosのThe neuroscience behind epiphaniesという動画を見つけた。ちょっとググった結果、この人は実験心理学のPhDを持っているようだとわかった。動画の要旨は、epiphany(ここでは、ほかの人がなかなか思いつかないようなひらめき、という感じか)を得たときの人間の脳の働きを明らかにし、その結果をもとにepiphanyを得る方法を提案する、といったものだ。5分ちょっとの話なためか、個人的には検証方法から結論までの飛躍がすごいと感じてしまった
Kounios氏の論で特に違和感を覚えたのは、epiphanyを得るためにはスマホタブレットなどの邪魔になるものから離れた環境を作るべきだと提案した部分だ。
ちょうど、iPhoneiPadを使っていた最中に(降りてきた! これこそ探してきた答え!)となったばかりの自分にとっては説得力のないものだった。

具体的には思い出せないが、クリエイティブな発想のためにスマホタブレットインターネットから離れろという提案をする人たちはほかにもいたような気がする。そういった提案にも根拠はあるのだろうが、人間の脳の働きにはまだまだ未知の領域が広がっていそうだし、インプットとアウトプットの因果関係を証明するのも難しそうだ。残念ながら盲目的に信じられるような、天啓が得られる特効薬などないのが現状なのかもしれない。それとも、天啓というだけあって、やはり人知の及ばないものなのだろうか。